手あぶり火鉢 第参百六弾
山形県は庄内地方の豪商の蔵にあった手あぶり火鉢
第306弾 庄内火鉢の特徴
こちらは炉なしの価格です。炉ありは58,000円になります。炉の制作代金がそのまま上乗せされます。炉を自作もしくは、上部の当て木のところに銅板を貼れば、下部分が木でも灰をいれて安全にお使いいただけます。(5年間実証済み)そのため、炉なしのお安い価格と、真新しい炉ありの価格の2つをご用意しました。火鉢の本体はもちろんこの1台のみです。5年前に仕入れた、庄内火鉢を代表するもので、師匠から当時6台ほど譲り受けました。この1台だけ炉がなかったので、保管してありました。その後師匠のほうでも、なかなか良いのが出てこないと言われ、今後もこのクラスの火鉢が出てくるみ込みがあまりなさそうなので、思い余って最後の1台をいまごろ、登場させてみました。所内を代表する京都風の火鉢ですが、今では貴重なので目一杯説明書きをしました。また読むのがご面倒な方は、音声でお聞きください。リンクも下に貼ってございます。
- 欅1枚板
- 底が厚い上げ底
- 赤漆のツヤ感
- 見事な黒柿の縁
- 炉縁(ろぶち)あり
- 取っ手も黒柿
- 庄内の豪商の蔵に眠っていた
- 江戸後期〜明治中期もの
- 4kg以上の重さ
- 見事なほぞ組
- ヒビ、隙間なし(山形の気候のおかげ)
では長くなりそうですが、詳しく書いてまいります。
この5年間、とうとう手に入らなかったクラスの火鉢ですので、記録として残してまいります。
1.ケヤキ一枚板
ケヤキの一枚板は2面で使われています。他の2面は突板(つきいた)です。突板とは、木と木を合わせて一枚の板を作ります。もちろん同じケヤキの一枚板を突き合わせるので、立派なケヤキの一枚板友言えます。江戸期〜明治の日本人は、馬糞すらも燃料にしていました。もったいないのピークの時代ですので、突板は当たり前の仕事でした。
木製の手あぶり火鉢は特殊
火鉢といえば陶器ですが、こうして木製も存在しました。当時は在庫という概念がありませんので、全て指物師に依頼をして造らせます。上級武士はもちろんのこと、豪商、古美術商(骨董屋は武士にお金を貸すのがお仕事)、その他大勢の丁稚奉公を書けているようなところ、庄屋などなど。
こうした木製の手あぶり火鉢を20個、50個と1部屋において寄り合いなどが催されました。1人に1つ。2つおいて向かいあって座ります
15の頃から丁稚奉公をしていた骨董屋の師匠などは、2つ1組が当たり前過ぎて、1つだけ売ることに最初は抵抗があったというほどえす。そのくらい木製の手あぶり火鉢は1組、2台だったということですね。なんか時代が伺いしれて面白いです。
では下に、突板担ったいる部分がわかるように画像2枚掲載いたします。矢印微分です。
3.赤漆:赤い火鉢
庄内の火鉢には赤が多いです。これは勝手な想像ですが、紅の産地だったことを関係があるのではないかと思っています。庄内地方の豪商は有名でしたが、紅を京都に売ることで成功者が多数出ました。一時、金と同じ価格にまでなったそうです。チューリップ・バブルならぬ、紅バブルです。
紅で得た利益で庄内の豪商は多くの京都の美術品を買いました。これを船便で運ぶために、船箪笥も発達。庄内の船箪笥は船が海に沈んでも、会場にプカプカ浮かぶように造られていました。 人の往来も激しく、そのため庄内の言葉は京都弁っぽいイントネーションになります。
4.縁と取っ手が黒柿
上部の縁は黒柿。柿の木1000本に1本の割合ででてくる貴重な木材。耐熱温度もケヤキや桐と同じく400度を超えます。それゆえ黒柿が縁に使われることは大変多いです。ケヤキと黒柿というのが一つ、こうした高級木製火鉢の定番でした。もちろん、取っ手も黒書きです。若干孔雀杢っぽい模様が入っています。
5.炉縁あり
炉縁は桐です。炉縁アリは最も良い手あぶり火鉢の証拠。炉縁なしでも最高クラスの手あぶり火鉢は、黒檀(こくたん)、紫檀(したん)の火鉢です。また炉縁はお茶室の炉を参考にしたので、炉縁の在る火鉢を、稀に「瓶掛(びんかけ)」と呼ぶこともあります。
6.取っ手も黒柿
取っ手も黒柿なのは、このクラスの手あぶり火鉢では普通ですが、通常は長火鉢で施す細工。取っ手の片方は少し隙間があいていますが、問題ございません。裏に当て木がありますので、どんなに強く押しても取れません。
7.庄内の豪商の蔵で眠っていた
この火鉢だけではないのですが、良い火鉢というのは、それなりの蔵にしまわれているもので、だからこそ無傷で残っています。昔はそうした開かずの蔵がたくさんありました。だからこうした素晴らしい火鉢が1つの蔵を開けると20個、50個と出てきました。手あぶり火鉢は対で1組、それが25組しまわれているからです。
8.江戸後期〜明治中頃
江戸の中頃までは湯呑やそば猪口はじめ、火鉢も底が厚いのがブームでした。江戸後期になるとだんだん厚みが薄くなります。この庄内火鉢、パット見は薄い底ですが、裏をひっくり返すと上げ底です。この点1つとっても、江戸後期〜明治初期、煎っても中頃までにつくられた火鉢だとわかります。
9.4kg以上ある重さ
昭和に入ってつくられた木製の手あぶり火鉢の重さは1.8kg前後。少し重いもので3kg前後。4.5kgはこの当時の総欅の火鉢にだけ見られる特徴です。今まで多く出品してきましたが、この5年で4kgを超える手あぶり火鉢は10台もありません。
10. 見事なホゾ組
ほぞ組が、見事です。鋭角な頂点を持つ三角のホゾと、四角が。蟻形のホゾで、正確な名称はわかりませんが、江戸〜明治期に好んで用いられたホゾです。ただしいわゆる最も手の込んだ火鉢にだけ用いられました。長火鉢でもなかなかありません。
11.玉杢(たまもく)
なんと玉杢のある手あぶり火鉢です。玉杢は、丸い、小さな模様です。この玉杢が珍重されてきました。特に江戸長火鉢では顕著で、玉杢のある火鉢とないものでは雲泥の差がありました。手あぶり火鉢に玉杢ありのケヤキを使うことは非常に珍しいです。
もちろん最高級の江戸長火鉢の玉目の数とは比べようがありませんが、それでも玉杢まで見て楽しめる手あぶり火鉢は早々ございません。昔はこうした火鉢はたくさんありましたが、それでも全体からすると玉杢のある手あぶり火鉢は数%しか存在しませんでした。
玉杢が出来る理由は諸説あるようですが、概ね、木が地裁ころに剪定(せんてい)された跡と言われています。蛇おじさんと呼んでいた師匠(戦国時代から骨董商の家系)からよく、「玉杢1つ1万円だぞ。」と口癖のように言われてきました。そのくらい貴重だったということのようです。