
秀仙から続く技
たたらの砂鉄
虫喰と袋弦
穴は虫喰です。虫が喰った跡を表現する技法は千利休から始まりました。地面に返っていく様子を表したものが虫喰です。 驚くのがヨーロッパの有名絵画の額縁職人。額縁に虫喰をつけるそうです。ヨーロッパの人にもその朽ちていく様の美を理解するのですね。
鉉(つる)とは取っ手のこと。鉉は鍛冶屋さんがトンカン打って造ります。綱取の鉄瓶の弦は鍛冶屋の田中さんが昔作ったものを大量に保管してあり、それを使用しています。
【作者】綱取
【製作年】2022年1月
【素材】砂鉄(古来の基準による高純度)
【作家系譜】鉄瓶の祖「小泉仁左衛門」から秀仙そして綱取へ
【容量】0.8L前後
砂鉄専門の伝統工芸士
「鋳掛屋」を名乗ります。
鋳掛屋(いかけや)とは明治期までは各町にいた鋳物のスペシャリストであり修理屋さんです。
室町時代の茶釜から現代の鉄瓶まで修理可能な腕の持ち主です。
たたら製鉄という昔からある砂鉄の作り方で鉄瓶をつくる職人です。
綱取さんの経歴を簡単に言うと
① 秀仙の息子の秀峰(しゅうほう)の直弟子
② 秀仙の工房を受け継いでいる
③ 長く虎山工房で働く。裏に徹していました。
④ 60才を過ぎて秀仙の工房を再稼働させる
鉄瓶を発明したのは小泉仁左衛門と言われています。
小泉仁左衛門から秀仙「砂子沢家」へと伝わり綱取へ。
秀仙の息子であり弟子の秀峰に学び鉄瓶、特に砂鉄の技に長ける。
虎山工房の職人として盛岡の南部鉄瓶の伝統を継承しつつ
2020年より「鋳掛屋(いかけや)綱取」として始動。
綱取 伝統工芸士の系譜はこちらにてご確認ください。
完全なる砂鉄を原料から集め、るつぼ溶解という古来式にて原料の砂鉄からの自作。
究極の職人技。
純度の高い砂鉄なので基本サビません。
1日中お湯を入れていてもサビないので、白湯を飲むのに最適です。
砂鉄小話
砂鉄の鉱山は昭和41年に閉山。
その後の昭和50年前後に砂鉄の含有量が少なくても砂鉄と名のれるようになりました。
ただしこの綱取の砂鉄は山や海岸で自ら集めた原料から作りました。
古来の砂鉄の鉄瓶がここに誕生しました。
たたら製鉄による砂鉄は、はるか昔からの古来の砂鉄です。
原料は砂浜や岩手の某山にある磁鉄鉱という鉱物から採取。
溶解し精製します。
現在「砂鉄」とされているもののは昭和50年前後に「砂鉄の含有量が少なくても名乗れる」ように基準が下げられました。昭和41年に砂鉄鉱山がなくなってしまったので仕方のないことなのです。
でも一方で、昔からの砂鉄をつくる人も日本にはまだ数名残っています。
刀鍛冶は砂鉄を保有していますがこれは門外不出。
鉄瓶の世界とはまた異なります。
鉄瓶の世界でゼロから砂鉄を創っているのは綱取とあと数名のみです。
世の中の鉄瓶の殆どはキューポラで電気溶解します。
トン単位で溶かした鉄を仕入れて鋳物を作ります。
たたら製鉄はルツボ溶解という古来からの鉄の溶かし方で、鉄瓶5〜10個分くらいしか溶かせません。
綱取の砂鉄は地にある砂鉄を集めるか、昭和前期までに作られた古い壊れた砂鉄の茶釜などを溶かして砂鉄を集めます。その砂鉄をルツボ溶解して砂鉄の鉄瓶をつくります。
¥138,000
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