明治?大正? 三越家具が作った火鉢

手あぶり火鉢

今回から、今まで見てきた火鉢をご紹介してまいります。

およそ350台ほどは販売してきたと思うのですが画像が余り残っていません。

2005年ころは、

  • 骨董の火鉢は探さずともいくらでもあった
  • お売りしてしまえば、もう在庫は無いのだから、写真は必要ない。ポイッ!
  • ハードディスクも高いし、全て保存するのはコストがかかる

こうした理由から、かなりの枚数を削除してきました。

ところが現在は、

  • 骨董の火鉢がほとんど見つからない!
  • 実はどれも貴重だった。歴史的な記録して写真は残すべきだった。(しまった!)
  • ハードディスクも超激安になったので、画像いくらでも保存可能

このように状況は激変してきました。

 

ちなみにハードディスクですが、今や3TB(3000ギガバイト)8,000円で買うことが出来ます。

でも2004年ころは、0.1TB(100ギガ) 1万円前後。

それでも無理して撮っておけばよかったと悔やまれますが、とりあえず出来るだけ古い写真を掘り出して、皆様に過去の火鉢を改めてご覧いただこうと思います。

 

 

さてそんな思い出話はともかく、今回は三越の家具製造所がつくった火鉢をご紹介します。

 

三越は、言わずと知れた三井越後屋が発祥。

江戸時代、三井高利(49歳)が、三重県から江戸へ上京し、呉服店を始めたのが最初です。

庶民のための呉服店であり、かなり革新的なビジネスでした。

まあ今で言う、ベンチャー企業とでも申しましょうか。

日本橋

マーケティング手法も様々で、実に素晴らしいアイディアの数々を実際に実行に移しました。

お金をほとんどかけず、最高の広告効果が出る方法を編み出しました。

販売の仕方から、お金の回収の仕方、顧客満足度を高めるための手間は惜しみませんでした。

 

下は浮世絵ですが、右下に「現金 呉服」とあります。

現金で呉服を売ったのも、三井越後屋が初めてです。

タコはアドバルーンですね。

三井越後屋

 

当時では皆無であった、着物を現金で販売する現金商売と、着物の端切れ売りが大ヒットします。

在庫を置いたり、店員が顧客対応したのもこの三井越後屋が最初でした。

その様子を描いた絵は今でも有名です。

三井越後屋

 

こちらは、東京両国、江戸博物館にある越後屋さんの模型です。

画像はすべて著作権フリーなのでご安心ください。

三井越後屋

 

また登場しました、店内の様子を描いた絵です。

三井越後屋

こうした、大勢集まるような場所では一人に一台、火鉢が置かれました。

これはかなりお店の規模が大きくなった時の様子です。

当初は間口三軒といった狭い店舗で、お隣の店舗からは壮絶ないじめを受けていました。

でも越後屋さんは怒らず、愚痴を言わず、ただひたすらお客さんのためにという信念を貫きました。

そうした笑顔と誠実な性格がさらなる幸運を呼びます。

幕府お抱えの呉服問屋にまでなりました。

こうした数々の不運を、幸運に変えたことで、商売は大繁盛します。

やっぱりビジネスでの成功は、絶対の積極姿勢と、粘りなんですね!

※すべての画像は再利用が許可されたライセンスフリーです。

 

 

紆余曲折あってその後、現在の三井住友銀行と、三越(現在は三越伊勢丹)とに分離します。

三越

で、結局これからご紹介する火鉢はいつ造られたのだろうか。

恐らく古くても明治時代。

場合によっては大正時代でしょうか。

椅子文化がポピュラーになったのが大正時代ですから、大正かもしれませんね。

そもそも呉服販売の三井越後屋さんが、家具まで創り始めたのも時代の流れです。

 

明治に入ると着物から洋服へと徐々に変化。

その変化に合わせて新規事業を色々起こしました。

その1つがこの三越家具製造です。

いつまであったものかよくわかりません。

今はもちろん存在しません。

 

三越(現 三越伊勢丹ホールディングス)の火鉢

三越伊勢丹ホールディングスの火鉢。

ではないのですが、なんか面白いなと思いました。

今では三越で火鉢が売られていたなんて信じられませんが、時代に合わせて必要なものを売るのですから当然といえば当然。

そしてこちらの火鉢。

もちろん1回しか見たことがありません。

当時は当然たくさん売れたでしょうが、もはや残っていないのでしょう。

私も今思えばどこで見つけてきたかよく覚えていません。

 

 

手あぶり火鉢

 

明治の後半〜大正ともなると、椅子の時代になっていきますので、こうした足の付いた背の高い火鉢が普通にあったと聞きますが、実際に目にしたのはこの1つだけでした。

かなり珍しいです。

手あぶり火鉢 手あぶり火鉢 手あぶり火鉢 手あぶり火鉢  手あぶり火鉢

この穴ですが、一般的に言われているのは

「こんちくしょう!」

とか、

「てやんでぇい!」

といって、火箸でブスッ! とやったあとだ。

怒りっぽいやつが使うと、火鉢の底に穴があく。

富裕な家でつかわれて火鉢にはそういったものは一切ねぇ。

 

とは、私の師匠の言葉です。

私が言ったのではありません。(笑)

 

手あぶり火鉢 手あぶり火鉢

ここまで書いておいてなんですが。。。

大阪

って書いてありますね。

大阪で造られたものに違いありません。

一体今までの日本橋や三井越後屋の説明はなんだったのでしょう。

いえいえ。

三越の歴史から学びは多いので、よかったです。

ありがとうございます。

手あぶり火鉢 三越家具制作工場

手あぶり火鉢 三越家具制作工場

 

ま、あとは見たまんまです。

背の高いとても珍しい火鉢です。

床に置かない火鉢というのは、それ相応の用途があったからです。

江戸時代には全く存在しませんし、明治期でも存在しないスタイルです。

やはり椅子生活が根付いてきた証拠と言えます。

もしくは玄関先に置いて、玄関を温める役目でもあったのかもしれませんね。

それこそ人が集まるところにおいてあったので、ブスッ! とやられていたのかもしれません。

 

そう考えると、この火鉢が今までどんな運命を辿ってきたのか、誰に使われていたのかを考えるのは、なんとも楽しい瞬間です。

もうかれこれ8年以上前にお売りしたものなので、今はどうなっているか不明です。

お持ちの方いらっしゃいましたら是非ご連絡いただきたいと思います。

 

最後までご覧いただきありがとうございました。

あなたの火鉢も是非こちらで鑑定してご紹介させていただきます。

ご興味ある方はお写真お送りください。

 

ありがとうございました。

店主:三浦のぶひと