2004年頃から数年、火鉢教室というのをやっていました。
また再開しないの?
というお声は全くいただかないのですが(笑
ひじょ〜に楽しかったです。
もともと番頭は時間がインド人なので1.5時間の予定が8時間なんてことも。
もちろん90分もあればすべて終わるのですが、そのあと中国茶を延々と飲んで話し続けるのが定番でした。
何度も書きますが、この20年で職人さんが1/5に減り商品は1/10以下になりました。
ならば職人物をもっと増やすのが大道なのですが。
それはそうと、火鉢教室だけはまた再開する予定ではいます。
次のブログで詳しく書きますが、「たたら製鉄」と「砂鉄の鉄瓶」を世界に伝えていきます。
そこが出来上がったら、火鉢教室のリアルな場所を用意します。
こちらは開店まもないころなので、現在の様子ではありません。

アンティークの火鉢と道具だらけでした。購入時にはご来店いただいてということも一般的でした。
杉並区の善福寺です。
番頭は三鷹の隣、武蔵境の生まれです。
その後、千代田区の鍛冶町で少年期を過ごします。鍛冶町は江戸時代に鋳物師、鍛冶屋を集めていた街です。 なにかこう、元々鋳物に縁があったのかもしれません。 盛岡藩の御典医の家系なのもあって、鉄瓶とは切っても切り離せなかったのかも。 本当は何度も辞めようとしたんです。


思いっきり紀州の備長が見えます。今は窯元から直接購入する以外は手に入りません。

これは火鉢教室の様子ですね。



これは火鉢を使ったコーヒー教室の様子。

これは最初の事務所。 アパートの一室でした。
ここで火鉢のイベントもやっていました。
こんなアパートの一室の前に列ができたことも。
お隣も住んでいなかったし、人気無いアパートだったのでなんか自由でした。
大家さんもお隣でした。


鍛冶屋の田中二三男の作った 真鍮流しの灰均し。
もちろん今はもう誰も造れません。
今お持ちの方、当然当時より高いお値段になっています。

こんな素敵な鍛冶屋の自在鉤もありました。
いわゆる高級料理店、一食5万円以上のお店、高すぎて店名忘れましたが。。。 あとはロス・アンジェルスの和食屋さんへも送っていました。
こちらももう無いです。
ただ次回のブログで書きますが、もしかすると島根の刀鍛冶屋さんにお願いできるかもしれないのですが、でもお忙しいので無理かなぁ。

こんな見事な火鉢もまだまだ手に入った時代でした。
今はこんな見事な骨董の手炙り火鉢、もう本当に手に入りません。
こちらもどなたにお譲りしたかすっかりわからなくなってしまいました。
ご不要になりましたら買い取りいたしますので是非ご連絡ください。
当時は骨董の火鉢もいっぱい見つかった最後の時代でした。
もう二度と無いですね。

というわけで古い写真を引っ張り出してきました。
さて次回からは今後のことについて書いてまいります。
今回も最後までお読みいただき有難う御座いました!
