こんにちは。
番頭の三浦です。
突然ですが
江戸時代の商家は丁稚奉公をする丁稚から始まり、手代、番頭と3種類ありました。
私は今も番頭と名乗ってますがなにげに番頭は一番上になります。
この三種類で収まっていたお店はいわゆる大通りの店を構える立派なお店。
それより大きな超大型店になると役目も細分化します。
当時最も大きな商家である三井越後屋さんなどは最も細ったようです。
三井グループの広報のページによると奉公人、いわゆる丁稚奉公だけでも
「目付」「役頭」「組頭」「支配人」「名代」
とあり、更にその上も細かく役目でわかれたいたそうです。
10人で始めた三井越後屋さん、60年後には700人前後になっていたと言いますから強烈です。
ここでのし上がるのは並大抵ではないですね。
参考1
下が当時の日本橋、室町付近だそう。
右側が三井越後屋さんで、棒を担いでいるのはただの商売人と思いきや奉公人が店のものを売り歩いているもしくは届けるところだという説もあります。
当時は日本橋から東京駅方面を見ると富士山が見えたんですね。
丁稚(でっち)
いわゆる丁稚奉公です。
丁稚は10代にみたないか、10代そこそこの無休で働く者です。
私もお店を始めた当時はこの丁稚です。
店の掃除や使い走り、荷造りや主人のお供をしていました。(一緒に始めたパートナーの行きたいところへついて行っていたので本当にそのまんまです)
丁稚は無給で無給ですが若干家族みたいな扱いになりますね。
住み込みで衣服住は面倒見てもらいます。
手代(てだい)
手代になるとお給金がでます。
取引先周りや仕入れなども任される重要なお仕事。
丁稚の面倒を見つつ番頭の言いつけも守る。
管理職というやつでしょうか。
この手代をしっかり勤め上げると番頭になります。
番頭(番頭)
店のすべてを取り仕切り実質店長もしくは雇われ社長レベルです。
ただこれがそこそこ規模のお店なら番頭にもなれましょうが、三井越後屋さんにいたらまあ番頭になるのは夢のまた夢といった感じですね。
社員数千人、数万人の会社の社長にまでなる感覚ではないでしょうか。
番頭の座る場所がこちら。
奥に白い火鉢が見えます。これは番頭の側近の手代が使っていたのではないでしょうか。
右に小ぶりな長火鉢。
銅壺(どうこ)がのっています。
大事なお客には当時は熱燗でも差し上げていたのかな。
鉄瓶ものっています。
フタが見えないのですが、銅フタかな?
手前の丸いのはフタにみえますが、ツマミがあったら平たく置けないし。
福山なので京鉄瓶を使っていたのじゃないかなと想像します。
こちらの写真の場所は実際にございます!
福山で有名な江戸時代後期に建てられた商家の中です。
まだ伺ったこと無いのですが是非、是が非でも行きたい場所です。
スクショさせていただいたページ是非見てみてください。素敵です!
参考2
私は番頭などと名乗っていますが同じ番頭でも天と地ですね。
ま、地のほうで地道にやってまいりますが。
今後も番頭でございます。
よろしくおねがいします。
火鉢の道具店 番頭 三浦