山形県は庄内の火箸と灰均し

こんにちは。

番頭の三浦です。

雨?

今日は雨の予報でしたっけ。

一応私にも家族が居たりするのですが、

家族は通称デザフェス

デザイン・フェスタへ行っています。

今回は出店ではなくて、純粋に見学のようです。

 

デザインフェスタ

 

昔のほうが、全身タイツのおじさんとか不思議(もしくはくるってる?)人がいっぱいいらっしゃった印象です。

今はまっとうな? アーティストとモノづくりのイベントに。

ココへいくと、人間の頭の中って無限だなー

って、思います。

 

いやもしかしたら自分が、普段から火鉢しか見ていないからそう感じるだけかも。

いや、きっとそうですね。

 

では本題です。(本題だけでいいよ。)

 

今回は物入れの隅から出てきた火箸と灰均しをご紹介します。

 

とっても気に入っていたので、大事にしまって忘れていた。

よくあるパターンによって隠されていた火箸と灰均しです。

ただしもう無いです。

 

私には師匠がいます。

山形の庄内地方で15歳で丁稚奉公からスタートした生粋の骨董屋です。

本来の骨董屋さんって、丁稚から始まったらしいです。

東京なら京橋〜日本橋にある古美術商の中には今でもそういうところがあります。

 

その師匠からはいつも庄内地方の火鉢を見つけてきてもらいます。

庄内地方は、紅の生産でダントツの日本一でした。

江戸時代です。

紅は京都でめちゃくちゃ消費されていたようです。

美術品はもちろん、舞妓さんの口紅。

 

チューリップ・バブルよろしく紅にもバブルがありました。

1gの価格が金と同じだったこともあったそうです。

 

そのため庄内には沢山の豪商が誕生。

京都の美術品を買いあさります。

漁るってあまりいい言葉じゃないですが、文字通り京都の良いものを沢山持ち帰りました。

日本海を通る航路です。

航路、貴重なものを運ぶので、船箪笥も有名になりました。

あの、海に船が沈んでもタンスだけプカプカ浮かんでいる庄内の船箪笥です。

 

者の往来があれば人も行き来します。

そのため庄内は京都弁が話されていたそうで、今も名残があると聞きます。

 

火鉢も庄内ものは京都風というか、実に上品な縦横比なのです。

今も1つだけ手元にありますが(炉がないのでつくってもらうところです)、赤ケヤキのことも多いです。

 

火鉢があれば道具もあります。

庄内にも昔は火鉢道具の職人さんが居ました。

山形鋳物も有名ですから当然かもしれませんが。

 

だから庄内の火箸と灰均しはとっても素敵なのです。

 

こちらです。

 

 

 

 

火箸は真鍮で、中が空洞です。第2次大戦ちょっと過ぎまでは作られていました。技術もあるでしょうし、金属が貴重だったことも在るかもしれません。

陶器の灰ならしは、戦争中にだけ作られたものです。もちろん戦争の武器のために金属が必要だったからです。当時は、木炭で走るバスもあったそうです!

火箸は竹の節を表現しています。最初はもっと黒っぽかったのですが、磨いて綺麗にしました。

灰均しが更に珍しいです。

幅狭いです。

普通は6cm(二寸)あります。ソレより狭いのを始めてみたので、そこも気に入った理由です。

何度か使ってみましたが、個人的にはこの幅 5.4cmはすごく好きです。

鍛冶屋の田中さんの灰均し、5cm幅をつくってもらおうと思いました。

灰均しの柄は桐です。

火箸の長さは26.5cm

本日はお気に入りの火箸と灰均しのセットをご覧いただきました。

ちなみにお値段は6,800円(+消費税で 7,300円)を考えています。

なんかだんだん雨が強くなってきました。でも鳥が鳴いているので、やむのかなぁ。

本日もお読み頂き有難うございました。

番頭 ミウラ