火鉢のお店を始めたワケ

恵比寿と炭屋と火鉢と蒸気機関車

こんにちは。

番頭の三浦です。

今日は暑かったですね!!

なのに私は、大事なお帽子を無くしてしまいました!

炭の街「恵比寿」

突然ですが、火鉢のお店は2004年にスタートしました。

その前に1年だけ炭屋さんでした。

ではナゼ炭屋さんかというと、恵比寿が炭の街だったからです。

 

意味わからないですね。

私はその昔、今よりも頭がおかしかったので、「恵比寿はオレの街」という大いなる妄想を抱いていました。

そして何を思ったか、始まったばかりのインターネットを使って恵比寿のタウンガイドを作ろうとしました。(アホすぎます)

しかも英語版です。

もちろんグーグルも、Facebookもない時代。

ヤフージャパンが出来たばっかりの頃の話です。

それで、タウンガイドを作るなら恵比寿にあるお店のホームページを作ろう!

ということで営業に入ったのが炭屋さんでした。

なんと駅前に炭屋さんが1軒だけあったのです。

 

その炭屋さんは炭の白鳥と言います。

ご主人は穏やかでゆったりした上品そうな方。

さすが恵比寿っ子です。

しかし営業は私より遥かにウワテでした。

 

ホームページの営業をしにいったのに、気がついたら営業されていました。

結果、炭のシャツとパンツを買って、あげく仕入までして売ることになってしまったのです。

 

ミイラ取りがミイラになるとでもいうのでしょうか。

まあ、誰にでもよくあるパターンです。(ないよ)

 

 

これが炭屋さんスタートの経緯です。

炭屋さん時代の話も面白いのですが、それはまたいつか機会があれば。

 

 

さて。

今の恵比寿は大都会ですが、

昔の恵比寿は、タイヘン静かなところでした。

夜になると暗くて。

 

キラキラ駅ビルのアトレはもちろんありません。

今は大賑わいの東側も、人まばら。

たとえばイングリッシュパブができる前は、そこには街の自動車整備工場あった。

そんな感じの地味な街だったのです。

 

でもなぜ炭屋さんが1軒だけとは言え今も駅前なんかにあるの?

炭が儲かるから?

 

もちろん、炭を売って恵比寿の駅前一等地が買えるのであれば、私は今も炭屋さんだったことでしょう。

だから白鳥さんは炭を売って恵比寿の駅前に鎮座しているわけではないのです。

恵比寿にはその昔、炭屋さんが70軒以上あったそうです!

驚きです。

それは、都電よりもさらに昔の時代。

蒸気機関車が走っていた頃です。

 

その当時、恵比寿が汽車の最終駅であり、メンテナンスの場所でした。

汽車には石炭が必要です。

だから石炭屋さん。

つまり燃料屋さんがいっぱいあったのでした。

燃料屋というのは、炭や灯油を扱うわけですので、炭屋とも言えるわけです。

 

 

まとめなくてもいい内容だけどまとめます。

 

  1. 恵比寿は炭屋さんの街だった
  2. 恵比寿をウロウロしていたら炭屋さんに入ってしまった
  3. 炭を無理やりかわされた

 

なんか、まとめたはずなのに、

最初に書いた内容と随分ニュアンス違いますが、それは良しとして。

 

こんな感じで始まった炭屋さんが、火鉢のお店の前身だったというわけです。

 

 

なぜ炭屋から火鉢に変化したか。

 

これは簡単です。

 

炭が売れなかったからです!

 

 

もし炭がバンバン売れていて、私が恵比寿の駅前に土地を買って、ビルたてて、テナント収入で暮らしていたら、火鉢のお店は無かったのです。

 

よかった!

炭が売れなくて本当によかったです。

 

 

今日のブログ。

凄い終わり方ですが、

最後までお読み頂きありがとうございました。

 

番頭 三浦