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「南部鉄器」「南部鉄瓶」という名称があります。
岩手の鉄で造られた鉄瓶と感じる人もいれば、
岩手県の南側で作られた鉄瓶と感じる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
驚くことにそのどちらも違うところが、この南部鉄瓶の南部の意味の複雑なところです。
1.南部鉄瓶の南部は人の名前。
南部氏の所領であった地域「南部」で作られた鉄瓶の意味だったのです。
岩手の南部でつくられた鉄瓶ではなく、東北の南部地域とよばれていたエリアで作られた鉄瓶のことです。
青森の下半分〜岩手〜山形や秋田の一分も含むらしい南部地域でつくられた鉄瓶の意味でした。
今から830年ほど前の1189年、源頼朝の奥州平泉攻撃に従った南部光行(なんぶ・みつゆき)さんの南部からきた名称で、南部光行が所領していたエリアの意味でした。
ところで南部で出土した国産の鉄はあるの?
日本の鉄の輸入量について調べていただくとわかりますが鉄は100%輸入になります。
多くはオーストラリアからです。
でも昭和40年までは本当に南部地域にはいくつも鉄の鉱山がありましたので、南部地域から出土した鉄で鉄瓶を造っていました。
だから
原材料が南部鉄は誤りです。
一般的には「南部鉄瓶」と呼ばれますが、「南部鉄」としているものがあればそれは間違いです。
南部鉄という鉄は現在は存在しないからです。
昭和40〜50年までに作られた鉄瓶は本当に東北の南部地域で採れた鉄でつくられた鉄瓶です。
新日鉄など大手の鉄鋼会社が鉱山を運用していました。
それ以後とくに平成から現在にかけて作られた鉄瓶で原材料が「南部鉄」は無いです。
一部の古い工房では鉄も砂鉄も100㎏近く保管していましたが、もうかなり前に使い尽くしたようです。
岩手の山から採った砂鉄の鉄瓶は造っています。
岩手の山から職人さんが掘り出したり拾ったりした砂鉄の石から「たたら製鉄」で取り出した砂鉄でつくった鉄瓶はあります。
現在もたたら製鉄を守る職人さんたちがいらっしゃいます。
その職人さんたちはいくつかの方法で砂鉄を集めています。
1.砂浜や川砂にまざる砂鉄を磁石で集める
2.昔の茶釜、江戸時代や明治時代、大正時代の古い壊れた茶釜などを溶かして砂鉄を取り出す。
3.山で砂鉄の原材料がとれるところに落ちている磁石のくっつく石を拾ってくる。
この3つの方法で集めた砂鉄を炭で溶かしています。
これがいわゆる「たたら製鉄でつくった鉄瓶」です。
以上、南部鉄瓶の「南部」についての解説でした。
最後までお読みいただき有難うございます。
番頭三浦