こんにちは。
番頭の三浦です。
突然ですが、火鉢のお店を始めた頃の話をしてみたいと思います。
【恵比寿は炭の街】
バック・トゥ・2002
ときは2002年
その当時、日本でFIFAワールドカップが開催されました。
サッカーに詳しくはないのですが、世界的な一大イベントです。
東京の恵比寿という駅に、FIFAの本部が置かれることになりました。
当時の恵比寿は、東側が特に閑散としていました。
なんというか、西荻窪みたいな場所でした。
私はもともと日陰者、ではないと思うのですが、賑やかな駅の隣の、ちょっと人のこないような場所が昔から好きでした。
神田というところで育ったことも、大いに関係しているとは思います。
神田は山手線の中心駅。東京駅の隣です。
さて、その地味な(当時は)恵比寿を主戦場(なんの?)としていた私は、恵比寿に外人がいっぱいくる!
と色めきだったわけです。
若いですね。
そこで、まだホームページが一般的ではない頃に、何思ったか「恵比寿のタウンガイドを英語で作ろう!」といきり立ちました。
まさに、黄金の宝を見つけたかのような勢いです。
若いを通り越して、正直、バ○です。
我ながら。
そこで、恵比寿のお店に飛び込み営業をして回りました。
と聞くと、元気にあちこちに飛び込んだように聞こえますが、10軒も回らなかったと思います。
でも今思えば、そのうち3店舗はお仕事をくれたのです。
もっと頑張っていればどうにかなったかも。
そんな営業先の1つにあったのが、炭屋さんでした。
炭の白鳥 といって、実は今もあります。
もちろん恵比寿の駅前で炭で商売できるはずもなく、今は上部のテナントの家賃収入です。
でも一時はアドビの日本支社まで入っていましたが。
さて、その恵比寿の炭屋さんに
「ホームページ造りませんか?」と営業したのでした。
すると返ってきたきた答えが
「もうホームページは持っているから、炭を売ってよ。」
というものでした。
これが全てのきっかけでした。
そこで初めてホンモノの炭を目にする事となりました。
なお、どうして恵比寿に炭屋さんが?
恵比寿はもともと、蒸気機関車の終点駅だったそうです。
恵比寿で石炭を入れていたそうで、それゆえ燃料屋さんが70軒以上あったのだそうです。
それが今は、白鳥さん1軒だけというわけです。
そしてまもなく、炭の専門店「炭の屋」を作るわけです。
ではこの続きはまた次回に。
お読みいただき有難うございました。