鋳掛屋という仕事と、日本の鉄瓶、鋳物について書いてみた。

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鋳掛屋いかけやの綱取翁が修理

鋳掛屋という職業が江戸時代から存在します。簡単に言うと鋳物の修理屋さんです。

Wikipediaにも詳しく描かれています。

こちら ⇒ 鋳掛屋 wikipedia

鋳掛屋の写真 wikipediaから

明治・大正の鋳掛屋の写真

 

大正時代くらいまでは鉄の精製の仕方が今と異なり穴が空きやすかったそうです。

修理方法についてはWikipediaには書かれていませんが概ね漆を使って修理していました。

鉄の精製というよりも、鋳型と方の問題だったんじゃないかと思いますが、いずれにしても昭和に入ると鋳掛屋という職業は、鉄鍋があまりこわれなくなったので無くなったとあります。

昭和で無くなった職業が令和に復活

令和三年

本格的に鋳掛屋という職業が復活します。

春にははっきりと発表いたします。

鋳掛屋が鋳物職人より難しい理由

現在も鉄瓶の修理を多数うけたまわっている弊店ですが、修理していますのは鋳掛屋の綱取です。

鋳物の修理は鋳物の製作より難しいです。

なぜならナカナカ壊れてくれないからです。

鉄瓶や鉄鍋がです。

もしくは壊れたらすぐに新しいものを買います。

さらに昔の、特に盛岡でつくられた鉄瓶は大方砂鉄です。

関西方面にも砂鉄で有名な職人さんがいらっしゃいました。

明治時代頃の話です。

そのころの砂鉄でつくられた鋳物の修理は鉄とはまったくことなりますので、鋳掛屋さんは鉄瓶職人になるよりも大変だったりします。

 

令和に復活「鋳掛屋」綱取について触れてみます

鋳掛屋の綱取さんは約40年「虎山工房」で鉄瓶・鋳物職人としてやってきました。

現在も虎山工房の職人さんです。

すでに伝統工芸士でもあります。

鉄瓶を作り続けて40年弱。砂鉄の鉄瓶に精通しています。

砂鉄の鉱山は昭和41年に廃止されていますから久しく砂鉄は産出されていません。

そこで古い茶釜を溶かしたり様々な方法で砂鉄を取り出します。

 

古くなって使えなくなった茶釜などは砂鉄で作られています。

こうした古い砂鉄を溶かして純度を高めて砂鉄を作ります。

 

あとは島根や兵庫にいらっしゃる刀鍛冶、鎧鍛冶が数百年の間代々つたわる砂鉄を保管していたりします。

なので鋳掛屋をなのる綱取翁は日本でも数少ない砂鉄をあつかえる鋳物職人です。

今年の三月には最高の砂鉄の棗霰(なつめあられ)鉄瓶が出来上がります。

 

盛岡の鉄瓶と岩手県南部 水沢の鉄瓶と、山形の鉄瓶と、関西の鉄瓶

これ。

全部作り方が違います。

盛岡の鉄瓶がNo.1だと、盛岡の職人さんたちは思っていると思います。

わかりやすく言うと精密だからです。

中国のお茶会の会長も盛岡がNo.1と言っています。

 

でも柳宗理は違います。

道具としての美しさは水沢だと言っているそうです。

いわゆる民芸です。

民芸ブームの中に民芸の味を取り入れてアパレルで成功したのがビームスです。

少し前までビームスの中で民芸品が売られていたこともあります。

今もあるのでしょうか。

洋服といっしょに土瓶があったりしました。

 

水沢と盛岡の鉄瓶の作り方は異なります。

ながくなるので端折りますが。

山形も鋳物文化が盛んです。

でも鉄が取れないので、砂を利用します。

川越鋳物も有名です。

鉄瓶と言うよりお寺の鐘や大砲、江戸時代の大砲ですね。

だから鉄に混ぜるものが違います。

でも鉄瓶の職人さんもいることはいるようです。

 

そして関西。

関西の鉄瓶は型にロウを使います。

蝋型の鉄瓶です。

これは本当に見事です。

関西方面の鋳物については全く詳しくないのですが、東北の鋳物とは全然違います。

模様がもう飛び出す絵本みたいです。

写真結構撮りためているので機会あればご紹介致します。

 

取り敢えずものすごく長くなったので一旦ここでパソコンを閉じさせていただきます。

鉄瓶の話になるとついつい書いていて興奮してしまうもので。

また落ち着いたらブログに書きます。

 

大正で消えた鋳掛屋という職業が令和に復活。

今年はこれを最大限推しでいきます。

よろしくお願い致します。