鋳掛屋の綱取翁が修理
鋳掛屋とは?どんな職業?今もあるの?
鋳掛屋(いかけや)とは鋳物の修理専門の職業の名称です。
鋳掛屋とは鋳物が庶民の生活に浸透した後に生まれた職業です。
江戸の初期から存在します。
Wikipediaにも詳しく描かれています。 こちら ⇒ 鋳掛屋 wikipedia

鋳物の修理が珍しくなかった理由
1.鋳物そのものが貴重品だったためでもありますが、当時は鋳物が貴重だったからです。
工業製品、大量生産の時代なら壊れたらすぐ捨てますが当時は直しながら使うのもあたりまえ。
鋳掛屋さんは世の中に必要なお仕事でした。
包丁を研ぐお仕事も近所に1つはあったものです。それと同じ感じでした。
鉄の釜などそんな簡単に水漏れするの?
昔の鋳物は水漏れしやすかったのです。
理由の1つは完全に手作りだったから。
2つ目の理由は、やはり毎日食事の煮炊きでカマドの直火で熱せられていたから。
1つ目の理由ですが手作りの鋳物は制作過程で穴ができます。
その穴を鉄と漆で埋めていました。
内と外の型の間に溶けた鉄を流します。
その隙間が鉄瓶であり茶釜であり鍋でした。
その型が動かないように「片持」と呼ばれる止め木をつかっていました。
この止め木の部分に穴が空きます。
この穴は鉄と漆で埋めますが毎日煮炊きにつかわれ、カマドの🔥であぶられ続けているとさすがに10年もするとそこから水が漏れてきたりしました。

現在の鉄瓶はこの穴が無いものも多い
現在の鉄瓶はこの部分を溶接に近い方法で埋めたり、型持を使わない制作方法、工業製品としてワッフルみたいにして作る方法などがあります。
逆に言うと、この穴があるものが1つ1つ作られる手作りの鉄瓶ということになります。
底にもし丸い埋めたような部分がなければ工業製品です。
1つ1つ鋳型に鉄を流し込んでつくった鉄瓶の底はこんな感じです。

鉄瓶も茶釜も直してながら使うもの
この部分からの水漏れは使用年数によっては止むない現象です。
ゆえに穴を塞ぐ必要があります。
ここで鋳掛屋さんの出番です。
修理方法についてはWikipediaには書かれていませんが江戸時代〜明治中頃までの鋳掛屋さんは銅を溶かして穴を塞いでいました。
鋳掛屋さんが修理現場で金属を溶かして穴を埋めていましたがこれは鉄ではなく銅でした。
ただ茶釜などは鉄と漆で修理していました。
ただそれも昭和40年ころまで。
以後、鋳掛屋という職業は無くなります。
江戸後期もしくは明治初期に鋳掛屋さんが修理した鉄瓶

青っぽいのは銅です。
昭和で無くなった職業が令和に復活
令和三年 本格的に鋳掛屋という職業が復活します。
盛岡の虎山工房(こざんこうぼう)に在籍している綱取さん。
鋳掛屋を名乗りはじめました。
あの日本最初の南部鉄瓶 伝統工芸士の秀仙の元で修行した綱取は、小泉仁左衛門から続く古来の鋳物鉄瓶の技を受け継いだ職人さん。 もちろん日本伝統工芸士です。
鋳掛屋でないと出来ない修理もあります。
替底もその1つ。まったく同じ底を作って取り替える修理。これなどは鋳掛屋でないと出来ない修理です。
鋳掛屋が鋳物職人より難しい理由
現在も鉄瓶の修理を多数うけたまわっている弊店ですが、修理していますのは鋳掛屋の綱取です。
もともとの鋳掛屋さんは各家庭をまわって修理していました。
各家庭の鋳物を修理する鋳掛屋は、その場で銅を溶かして穴を塞いでいました。
ですが江戸時代の茶釜などは銅で修理するわけに生きません。明治に入ると茶道釜の修理をするために漆と鉄で修理する手法も生まれました。銅による修理、漆と鉄による修理、さらに穴の大きく空いた底を全く新しく作り変える替底など大きく分けて3種類の修理方法があります。
このどれも可能なのがある意味ホンモノの鋳掛屋となります。
令和に復活「鋳掛屋」綱取について触れてみます
鋳掛屋の綱取さんは約40年「虎山工房」で鉄瓶・鋳物職人としてやってきました。
現在も虎山工房の職人さんです。
すでに伝統工芸士でもあります。
鉄瓶を作り続けて40年以上、さらに砂鉄の鉄瓶と古来の方式「たたら製鉄」「ルツボ溶解」に精通しています。
砂鉄の鉱山は昭和41年に廃止されていますから既に砂鉄は産出されていません。 そこで古い茶釜を溶かしたり某山の中二ひっそり存在する砂鉄の原料となる石を集めます。
なお 古くなって使えなくなった明治時代までにつくられた茶釜などは砂鉄で作られています。 こうした古い砂鉄を溶かして純度を高めて砂鉄を作ります。
島根県の刀鍛冶の世界ではたたら製鉄を作っていますがこちらは刀剣のための砂鉄でさらに門外不出。実質、現在において砂鉄は自力で集めるしか無いのです。
こうした古来の鉄瓶技術にも長けた職人さんだけが鋳掛屋をなのれます。
綱取はさらに、鉄瓶の祖「小泉仁左衛門」直系の弟子である「秀仙」を師事していました。
鉄瓶の伝統工芸士 第一号の秀仙からその工房も引き継いでいます。
そのため綱取翁は日本でも数少ない砂鉄をあつかえる鋳物職人であり完全なる鋳掛屋さんとして令和に復活したわけです。
その綱取が令和に復活させた砂鉄の鉄瓶
